「空気の研究」をまた読みました。
何度読んでも読んでいくうちに興奮します。
どんな本?
著者の山本七平氏は1921年に生まれ太平洋戦争を経験しています。
その前後の経験等から戦前戦後を通じて,変化することなく日本人の基底に存在する「空気」について考察を深め日本の構造的な問題点までがまとめられています。
日本人なら誰でも知っている「空気」について見事な言語化がされています。
約40年前にこのような深い考察がなされていることに対して,「すごい」の一言です。
氏が本書で指摘している問題が顕在化してきてあちこち問題になっているのが昨今の状況であります。
本書を一言で言えば
本書の内容を一言で言えば,日本は壮大な劇場であるということです。
劇場内で演じられる劇には,見る側見られる側の間に暗黙のルールがあります。
わかりやすい例でいえば歌舞伎の女形。
みんな男だとは分かっていますがそれがルールなので誰も何もいいません。
女形のことを「男じゃないか!」と怒る人は劇場からつまみ出されてしまいます。
このルールが「空気」であります。
ルールが流動的→それこそが「空気」
日本がさらに独特なのはこのルールが独特であり,かつ定まっていないというところです。
通常ルールというのは絶対的な基準があり,人間的な感情が入り込む余地はないはずのものです。
そうじゃないと恣意的に運用できてしまい,結局ルールの意味がなくなってしまいます。
ところが,日本劇場のルールは常に流動的です。
なぜならその場の状況(空気)がルールの基準となるためです。
そのため,個人の責任は状況に転嫁されますし,後世の検証も難しくなります。
なぜなら当時の空気と現在の空気は全く異なるものだからです。
よく聞く「あのときの状況では仕方なかった。」「当時の空気を知らずそれを責めるのは非人間的」などといったものです。
本書で例に挙げられているのは太平洋戦争の大和特攻です。
現在の私たちが論理的に考えてこの作戦はどう考えても自殺行為でまともな組織の作戦などと呼べるものではありません。
しかし,当時の指揮官は「当時の空気では仕方なかった。」と言うのです。
「空気」が作られる仕組み
この「空気」がいかに作られるのかというと,「あるもの」に対する感情移入,絶対化です。
「あるもの」とはなんでもよく,いわばご神体のようなものです。
例えば,天皇制とか,日本国憲法とか。
ご神体のように石ころや鏡でもOKです。
先の大和の例でいうと,特攻作戦に対する絶対化でしょうか。
絶対化されたものは同時に絶対的な正義としてもとらえられるため,それを批判することは「抗空気罪」として厳しく断ぜられます。
少なくとも村八分にはなるため,皆空気に逆らおうとはしません。
日本独自なのはなぜ?
ヨーロッパなどではこのあたりが徹底的に相対化されているため,日本のような独特の「空気」は醸成されにくいようです。
なぜ日本ではできない相対化ができるかというと,彼らは絶対的な基準を持っているからです。
それが神の存在です。
神のみが絶対的なものとしてとらえられているため,他のものをすべて相対化してとらえることが可能になるのです。
しかし日本ではそういった絶対的な基準がありません。
そのため,その時々に応じたものを絶対化していきます。
つまり,敗戦を経たからといって絶対化の対象が天皇制から民主制または日本国憲法などへ変わっただけで思考法は何も変わっていません。
現在の改憲や原子力,アベ政治などに対する過剰なまでのアレルギー的反応はまさにこの状態でしょう。
日本劇場のシステム的な欠陥
「日本的劇場」は構造的に鎖国するようなシステムになっています。
なぜなら劇場内の暗黙のルールを守るためには外から入る情報を劇場内で通用するものに書き換えなければいけません。
そうしないとそれこそ「女形は男でけしからん」という話になってしまいます。
つまり,究極的には外部からの情報は邪魔なものであるということになるのです。
ところが,現在の世界は日本も含めて情報技術の進歩などによりグローバル化が急速に進んでいます。
そんな中で鎖国,日本的劇場を続けていくことには無理があることにかなりの人が気付いています。
そういう日本的劇場を続けられなくなってきた軋轢が,今の社会のさまざまな問題となって噴出しているのではないでしょうか。
私たちは何をすべきか
だとすれば私たちは何をすべきなのでしょうか。
本書にも書かれていますが,まずは日本人が日本的劇場について正しく把握することが必要でしょう。
そして,空気の拘束から自由にならなければなりません。
しかし,日本は西洋のように絶対的な神という基準を持っていません。
そしてその絶対的な基準として何を持つべきかというのは私にもまだ分かりません。
例えば江戸時代には儒教的道徳体系というものが存在しており,指導者層はそれを基準にしていました。
しかしそれが直ちに今の私たちにフィットするものかといわれれば,そうではないでしょう。
でもヒントになるのは確かです。
そういった意味でも歴史や哲学,宗教などといったことをもっと研究していくことが大切なのではないかと考えました。
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