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「判決,ふたつの希望」~憎悪と理解について考えた

人がお互いを理解し合うということは実に大変なことだと感じました。

どんな内容?

この映画はキリスト教徒のレバノン人トニーとパレスチナ人のヤーセルとがささいなことからいさかいを起こし,それがどんどんとこじれていくという話です。

パレスチナ難民,レバノン内戦などの問題が複雑に深くからんでおり,日本の私たちにはすぐに理解できないことも多くあります。

レバノン内戦,パレスチナとイスラエルとレバノンの関係,レバノン国内のレバノン人とパレスチナ人の関係などについて事前に知っておいた方がより楽しめます。

知らなくても見ていれば分かるようになってはいますが,その場合若干分かりにくいかも。

なぜ理解できないのか

この映画に出てくるトニー,ヤーセルの頑なさは筋金入りです。

なんでここまでと思ってしまいますが,実は二人とも内戦で家族を失ったり,家を失ったりと,これまでにかなり悲惨な体験をしています。

そのような目に遭うと,敵方である人々を深く憎むようになるのも致し方ないでしょう。

いったんそうなってしまうと,そこからお互いを理解しあうというのはとても困難なことです。

そう考えると,戦争で最も怖いのはこういった負の連鎖が続いていくことなのかもしれません。

戦争が終わっても,お互いに起こった悲劇は消えず簡単には終わることができません。

お互いが憎み続けるばかりか,さらに憎悪がエスカレートして新たな戦争が起こる火種となることもあります。

負の連鎖を断つためには

この負の連鎖を断つには,お互いが憎み合うのをやめなければなりません。

しかし,自分の家族を殺されたりしていればそれは極めて難しいことでしょう。

映画の終盤で,かつてダムールという町で起こった虐殺事件が取り上げられます。

映画中で,トニーの弁護人を務めるカミールが,今まであまり人々の間で話されてこなかったこの虐殺事件についてこんなことを言っています。

大切なこと,重要なことは語られなければならない。みんな傷ついているのだ

と。

この映画の中で一番の至言だなあと感じました。

まずは語り始めないとお互いを理解しあうことはできません。

また,語ることで自分の気持ちにある程度の整理がついたり,自分自身が癒やされたりすることもあるでしょう。

もちろん語ること自体がしんどいのでみんな語りたがらないのですが,まずは最初の一歩を踏み出さないといけないのではないでしょうか。

道のりは遠い

本作ではトニーとヤーセルは最後にはようやく理解しあうことができました。

しかし,取り巻きの多くの人々はそうではありません。

ラストシーンでの判決により,トニーたち以外の人々の対立はさらに深まるかもしれません。

そう考えるといったん憎みだした人々がお互いを認めるようになるにはとんでもないエネルギーが必要なのだということも分かります。

しかし,トニーたちが理解しあえたようにコツコツとやっていくしかありません。

道のりは遠いですがショートカットできるような楽な方法はないですよね。

私たちもこの映画と比べると矮小ではありますが,意見が合わずに対立し憎しみを抱くこともあります。

でも理解するにはお互いが対話するしかないですよね。

感情的にではなく論理的に。

そういった人が他人を理解するためには,ということを考えさせてくれるいい映画でした。

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