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『もう半分』から酒呑みの浅ましさについて考える

『もう半分』という噺がある。ちょっと怪談めいた噺なのだけど、私が好きなのは棒手振りの爺さんが「半分ずつ」酒を買うところだ。

酒好きならばこの心境がわかるのではないだろうか。一合枡にいっぱいに入れて2杯飲むよりは、半分入れて4杯飲んだほうが得した気分にならないですか。これこそが酒呑みの浅ましさである。たくさん飲めた気がするというのもあるし、酒を飲んでいるという至福の時間を少しでも伸ばせた気分にもなる。

今も平日の昼間っから酒を飲みながらこの文を書いているのだけど、書きながら改めて考えてみると、どうも枡の中の酒の量というより、注いでいる四合瓶の酒が減っていくのが不安になる原因なのではないかと感じた。

この四合瓶というのは不思議な瓶で、二分の一まではなかなか減らない。でも二分の一を過ぎるとあっという間になくなってしまう。本当に早い。底に穴が空いているのではないかと思って何度も確認したことがあるが、残念ながらそんなことなかった。四合瓶から枡に注ぐたびに瓶の残量を見て、二分の一ラインにどれだけ近づいたかとついつい見てしまう。ああ、まだまだある、あるいはもう半分過ぎちゃった、もう宴は終わりだ、と。

半分ずつ飲んでいれば近づくスピードが遅いように感じる。気がする。こういう訳のわからないさもしさが、酒呑みの本領なのではないだろうか。

ちなみに私は『もう半分』は五代目古今亭志ん生師匠のしか聞いたことがない。5代目古今亭今輔師匠も秀逸らしい。一度聞いてみたいと思ってAmazonで調べたら品切れだった。嗚呼。

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