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「まぼろしの市街戦」を見て狂気とか自由とか欲について考えた

第一次世界大戦中のフランスのある町で,町から撤退しようとするドイツ軍が町ごと吹き飛ばせるような時限爆弾を仕掛けます。
そのため町の人はみんな逃げ出して,残ったのは精神病院の狂人たちのみ。
そこへ時限爆弾を処理するためにやってきたイギリス軍の兵士が,偶然狂人たちから王様として扱われるようになる・・・という話です。

狂っているのはどっち?

「精神病院の狂人」という今の世ではとても作れそうにない設定ですが,この映画で一番大事なところなので文章中でもそのまま狂人と書きます。

狂人たちは普通人たちから「狂った」とみなされて精神病院に閉じ込められています。
確かに作品中でも一見すると狂ったような行動を取っています。

しかし見ているうちにそれがだんだんと変化していきます。
どっちが狂っているのだろうかと。
彼らは町の外は凶暴な人たちがいるから出てはいけないと言います。
確かに外で行われているのは戦争です。
人同士で殺し合う方がよっぽどか狂っています。

さらにいえば,彼らは純粋に狂人なのではなく単に狂人を装っているだけのようにも見えます。
彼らが言う「凶暴な人」たちと接しないようにするための防衛策というか。
町の外へ出ようとする主人公への態度や病院へ戻ろうとするときの冷静な行動は,それまでの滑稽な様子との対比もあってゾッとするほどです。

想像力と自由

作中で狂人たちが言っていた「町の中にはなんでもあるのになぜ外に出る?」「最も美しいのは窓から出かける旅」という言葉が大変印象に残りました。

彼らはその恵まれた想像力で病院だろうとどこだろうと楽しい世界に変えてしまいます。
作中ではたまたま自由に町を使えたので「茶番」として遊んでいましたが,別に病院の中でも十分楽しいわけです。
想像力さえあればいつでも窓から旅に出られる。

そういう意味で考えると逆に病院の外や町の外にいる普通人は自由なようで何も自由じゃないことに気付きます。
想像力さえあれば何も要らない狂人たちと違って,普通人はさまざまな欲にとらわれて自分を不自由にしてしまっているのではないでしょうか。

狂気については,名作「地獄の黙示録」もなかなか考えさせられますが,この映画はまた別の角度から狂気や自由などについて考えさせられる面白い映画でした。

まぼろしの市街戦 [DVD]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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