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「運び屋」~自由奔放なお爺さんの生き方を見て人生の選択や犠牲について考えた

人生の大半を仕事に邁進して家族を顧みなかったお爺さんが,破産して半ばヤケで麻薬の運び屋になってしまうというお話です。

家族が一番!・・・という単純な話とは思えない

お爺さんはかなり身勝手です。
家族から見捨てられていることからも分かりますし,作中の端々のセリフからそれがうかがえます。
たまたま会った黒人を前にして「ニグロ」とか平気で言うけど,本人にはまったく悪気がないので余計にタチが悪い。
金さえあれば90歳にして売春婦も買う,まさに自由奔放を地で行く人間。

彼は運び屋稼業で大金を得ますが,それを使って失われたものを取り戻そうとします。
でも彼が一番取り戻したかったものは家族で,やはりというか当然というか金だけでは取り戻すことはできません。

それを実感したためか今まで仕事のために家族を裏切り続けてきた彼が,家族のために仕事を裏切ります。
そして彼は家族を取り戻した・・・ようには見えます。
ただどうも釈然としません。

爺さんの選択と犠牲

彼が仕事を裏切ったことで,おそらく何人か死んでます。
一番かわいそうなのが爺さんを殺そうとしたけど,女房の葬式に出ていたと聞いて殺さなかったマフィアAです。
ボスから殺せと言われてたのに恩情をかけて殺さなかったわ大量の麻薬は押収されるわで,彼がその後殺されていることは確実で,なんの救いもありません。

爺さんが最後に「自分は有罪だ」と言って粛々と刑に服そうとするのはそういった多くの犠牲への自覚があったからなのかどうなのか。
それまでの言動を見ていると自覚はあんまりなさそうな感じもします。

じゃあどうする?

でも翻ってみれば私たちも多かれ少なかれ似たようなものなのかもしれません。
一つのことを選択するということは別のものを捨てたり犠牲にしたりすることでもあります。
そして自分が選択したものは当然自分の視界に入りますが,自分が捨てたものは自分の視界からは消えてしまいます。
マフィアAの存在などまさしくそのとおりかと。

そうかといって何の犠牲も生み出さない生き方というのもそれはそれで難しいでしょう。
この映画でも爺さんが仕事を選び続けていたら確実に家族は失ってしまうでしょう。
でも家族を選んだことでマフィアAのような別の犠牲も出てしまうわけです。

結局人間が生きていく以上それは仕方がないことのようにも思います。
すべてについて思いを巡らせていたら発狂してしまうでしょうし。
またその選択がどう転ぶかはやってみないと分かりませんしね。
爺さんみたいに人生の終盤になって激しいどんでん返しが続くかもしれませんし。
人生万事塞翁が馬とはよく言ったものだと思います。

そう考えると,監督のクリント・イーストウッド氏が言いたいのは「人生どう転ぶか分からないけど,時間が買えないことだけは確かだから後悔のないように遠慮せずに思い切って生きろ」っていうことなのかなあと感じました。
この映画の爺さんのように。
そんなことを考えることができたよい映画でした。

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