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「総員玉砕せよ!」~今も根本は変わってないことに愕然とする

(本件ネタバレ含みます)

わたしはなんでこのような

つらいつとめをせにゃならぬ

この本で何度か歌われる歌の一節です。

元々これは「女郎の歌」という歌で,つらいつとめとは売春のこと。

しかし兵士の勤めもそれと全く同じ,いや最後で語られているように「女郎の方がなんぼかまし」かもしれません。

死ねと言われない分。

この本のテーマ

軍隊という組織は部下に「死ね」と命令することもあるため,その上下関係は厳格に定められています。

水木しげる氏がこの本などで繰り返し訴えているのは,その兵士の命をあまりにも粗末に扱う旧軍組織に対する怒りです。

玉砕に失敗した軍医中尉が参謀へ反抗(この後自決)

この本で語られているのは,

なんで玉砕なんかしないといけないのかということ

玉砕が手段ではなく目的となってしまっていること

の二つに絞られると思います。

玉砕しなければならない空気

集団自決を尊ぶ空気

日本には昔から一部で降伏するより自決を選ぶという美意識があり,戦時の日本ではさかんにそれらを称揚する空気が醸成されていました。

それが集団で行うと玉砕ということになるのですが,そんな統一した美意識は集団では保てませんよね。

みんな考えてることはバラバラなんだから。

まして志願じゃなくて招集されてきた兵士は死より生を選ぶ傾向が強いでしょう。

事実上の死刑宣告

ですから,下々の兵士にとっての玉砕とは死ねと命令されるのと同等なわけです。

しかし当時の日本全体の空気がそうなんですから,その命令に背いて自分だけ生還したり捕虜になったら村八分になってしまうことは確実です。

そうなると自分だけでなく家族や一族みんなが困ります。

だから嫌々ながら命令に従うしかないわけです。

死ねとは言われないけど空気に逆らえないのは今も変わらない

この辺の空気に逆らえないところは今も昔も全く変わりありませんね。

みんな遅くまで働くから自分も遅くまで働く,休んだら組織内で村八分になるから休めない。

死ねと言われない分マシなのかもしれませんが,70年以上経ってもちっとも進歩した感がありません。

玉砕の目的化

さらに悪いことに玉砕は次第にそれ自体が目的と化していきます。

手段の目的化

将校などの職業軍人にとって軍とは国を守る組織とかそういうものである以前に職場であり役所です。

で,今も全く変わりはないと思うのですが,役所というのはほっておくとだんだん手段が目的化していきます。

決まりを守るための決まりを作ったりというのは今でもよくあることです。

玉砕するための玉砕

玉砕が目的になってしまうと,生き残ることはありえません。

例外なく死ななければ玉砕が遂行できないのです。

この本でも,主人公水本の部隊は一度玉砕に失敗し,その責任をとるため生き残った小隊長が自決したあげく,残った兵士が再度玉砕させられます。

自決直前の小隊長たち

まさに何のために死ぬのかさっぱり分からなくなります。

どうして人のコストを考えないのか

なぜ,ただでさえ劣勢なのに内輪でそんなことをするのでしょうか。

戦うためには少しでも多くの兵士がいたほうがいいんじゃないでしょうか。

どうして日本軍というのは兵士の命をこれほどまで軽視していたのでしょうか。

 

人を育てるのってかなり大変です。

金もかかりますしなにより兵士にしようと思ったら生まれてから20年近く時間が必要です。

このように人を育てるためには時間も金も手間もすごくかかっているのに,なぜか虫けら扱いされることが多い。

「コスト」という冷徹な観点から考えても人は大切にしないといけないはずです。

本来合理化の権化にならなければいけないはずの軍隊はなおさらそうであるはずなのですが。

 

組織のあり方についても,空気についても,戦前と今とでそれほど変わっているとは思えません。

戦争に反対するのなら,改憲反対とか建前的な話をする前に,こういった点から変えていかなくてはならないはずです。

そうでなければ,もう一度このような悲劇を繰り返してしまう可能性は十分にあると思います。

 

水木氏はこれらの怒りを作中で度々吐露し,最後は死にゆく水本に,何も言えない死者の気持ちを代弁させて物語は終わります。

わずか70年ばかり前に,誰にも見られることもなく,誰にも語ることもできず,ただ忘れ去られていった兵士がたくさんいて,今も南の島に眠っているということは日本人として忘れてはいけないと読み返すたびに改めて感じます。

 

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